※「ないものはない」(海士町キャッチコピー)

 「日本教育新聞」を読んでいると、このような文章に出会った。『私は校長であった頃は「もっと予算があれば」「経験豊富な教員がいてくれたら」「生徒たちの活動スペースがあれば」と、どうしても「ないもの」に目が向きがちでした。』自身も現在のような立場となって7年目となるが、私も確かに最初は同様であった。だが、今では「ないものねだり」は影を潜め、「あるもの探し」「あるものの組み合わせ」に夢中となっている。

おそらく、このきっかけとなったのは隠岐島前高校での勤務であったと思う。隠岐島前高校がある海士町のキャッチコピーは「ないものはない」、港に降り立ったときからこのコピーが目に飛び込んでくる。例えばコンビニ、デパート、劇場等々「ないものはなくてよい」、「生きるために必要なものは、すべてここにある」という考え方。「ないからこそ良い」と思う考えを、そして「あるもの」を活かす知恵と組み合わせの工夫を楽しむ暮らしを大切にしようというものである。後鳥羽上皇がなぜこの地へ配流されたのか、考えてみれば隔絶の島ではあったが「生きるために必要なものは、すべてここにあったから」ではなかったのか?

「あるもの」を活かす工夫を考えていると、「ないものねだり」をしているときの悲壮感は減少し、ワクワク感が増していく。学校でいえば「あるもの探し」は決して停滞状況ではない。予算、人材などについて「今あるものをどう生かし、どう組み合わせればより前進できるか」を考えることは重要。私は特に人材については「お城の石垣構造」をイメージし、手元にある様々な形(能力や個性)の石をどう組み上げていけば、機能的かつ見た目も美しい石垣となるかを意識してきた。

石垣のように少し固い話となったが、実は生徒たちが将来の生活の場をどこに定めるかにこの思いは通じる。「ないものねだり」が強ければ、都市部へ。「あるもの探しと組み合わせの楽しさ」に気付けば…。2025年の国勢調査(速報値)で県内唯一、人口が増えた海士町は離島に若者の還流を起こし続けている。隠岐島前高校を卒業した若者たちも再び島に戻り、暮らし、働く流れが生じ始めている。本校の地域協働活動が目指し、昇華していく先はここかもしれない。