「省略の先には?」(令和7年度第3学期始業式:書き起こし)

 皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 インフルエンザ流行もあって2学期の終業式は行えませんでした。今後も流行は続きますので、必要に応じて手洗いやマスク等も含めて、健康管理には留意してください。そのような事情もあり、今日は皆さんの顔を見て話をすることができませんが、皆の表情思い浮かべながら話します。普段は7分程度ですが、終業式もできなかったので、今日は10分くらいになるかもしれません。しばらくお付き合いください。

先日、通勤時にラジオを聞いていたら「チャッピー」という言葉を聞きました。これはAIのchatGPTを省略しているのですが、解説の方によると「こんな省略形使うのは日本だけです」ということでした。思い出してみると木村拓哉さんをキムタク、コンビニエンスストアをコンビニ、バスケットボールはバスケ、スマホ、パソコン等。規則性は不明ですが、どうも日本人は長いフレーズでも3字か4字に縮めることを好みます。なぜ?

また、バサッと切ってしまった省略形もあります。それは、日常よく使う「さようなら」です。結論から言えば、「さようなら」ということば自体には元々、別れの意味はありません。「さようならば」という接続詞です。「それならば」「そういうことでしたら」という意味で、本来ならその後に「失礼します」が続かないと別れの言葉にはなりません。なぜ、バサッと切って、別れの挨拶となったのでしょうか?

今や時代はSNS、挨拶さえもアケオメコトヨロ、今ではアケ、オメスとか、どんどん省略され、丁寧な表現や結論を示す表現は避けられる傾向です。また基本、日本人が何かを省略する際には「大事な部分」を消すことが多いと言われています。なぜ?コンビニなんてそうですよね。ストアが抜けていたら意味不明ですよね。

この冬休みの間に「なぜ、省略するのか、しかも大切な部分を」を調べてみました。それこそチャッピーや、ジェミニ、図書館の本なども読みました。結論、ピンとくる答えは出ませんでしたが、ひとつ気付きました。「なぜ」への答えではないですが「大切なことは省略される前のそもそも何であるかをわかっているから通じている」ということです。

そこで皆さんに一言、学校の学びもかなりの部分が、そもそもを知るためのものとなりますが、同時に自らのアンテナを高くして、日常においてもそもそもを知ることを大切にしてください。そのためにも「なぜ?」と感じたときに後回しにしないことも大切です。「なぜ」の気持ちは大切にしてください。また、時間あれば今省略形を使ってもよいかも考えてください。私が今日この話のスタートにアケオメコトヨロと言ったとしたら、人間関係性やTPOを考えるとふさわしくないですよね…。

最後に、さあ第三学期のスタートです。1/2年生は進級に向けてしっかりやるべきことをおこない、気持ちよく上級学年へと進む準備をしてください。3年生は受験等も含めた卒業準備とともに、多くの人はすでに18歳、民法上の成人年齢に達しているはずです。大人の自覚を深める学期としてください。それぞれがあらためて興味や関心を探り、2026年は前向きに一歩踏み出すきっかけ探しをしてくれるとうれしいです。

今日は10分くらい話すと最初に言いましたが、結果7分3秒でした。

以上