校長のひとりごと R7.4.3
2025年04月03日
※「愛別離苦」
新年度を迎えて、先生方は何かとスタート準備に忙しい。私はといえば、入学式の式辞も昨年度と同様の話をすると決意(?)してしまったこともあり、おだやかにしている。
ただ、今頃になって年度末に本校を去っていった先生方のことが思い出される。わずか1年のお付き合いであったが、1人ひとりとの間に様々なストーリーがあった。
教員になって以来、離任式を三十数回経験してきた。送る側、送られる側それぞれを経験したが、毎年のこととは言え、常に寂しさは残る。この時期毎年思い出す言葉、それは仏教用語の「愛別離苦」である。私は倫理を教える教員だが、この言葉は自らの父を亡くしたときに重くのしかかってきた。用語集などでは「親愛な者と別れるつらさ。親子・夫婦など、愛する人と生別または死別する苦痛や悲しみ。」という解説がなされる。平素授業で教えている用語を自らの体験により、深く感じた時間もあった。
だが、この「愛別離苦」を私自身はもう少し意訳し「誰かと出会ったときから、大切な人や大好きな人であっても、いつかは別れなければならない苦しみが始まっている。」と解釈している。学校というところも職員や生徒たちとの別れが毎年のように繰り返される。学校も多様な人間関係が交錯する場であり、異動や卒業などの別れの場面に直面することはある意味ルーティンである。信頼していた同僚教員が異動となれば「次年度からどうすればよいのか」という不安がよぎる。あるいはとても親身になってくれていた教員が異動となり「私は誰を頼ればいいのか」と思い悩む生徒もいるかもしれない。
しかし「愛別離苦」という言葉を通じて、「別れ」が避けられない(感情を受け入れる)ものであり、それが新たな出会いへの扉(前向きな姿勢)でもあると受け入れることができれば、自分を成長させる経験として捉えることもできるかも…。(野津意訳では「新たな出会いは次の別れのスタート」でもありますが…)
町の鉄板焼き屋さんの焼きそばを食べ終えた後の昼下がり、ふと考えたことでした。